10連休も折り返した5月3日、天気も回復し暖かくなったので、以前より、やりたいと思っていた散策を決行することにしました。
それは、幌萌町散策。
いくつか目的があって、一つ目は「日頃の運動不足の解消」。これはもうカメラ持って歩き回るしかないと思ってるので、今年はとにかく散策します!(笑)
二つ目は、この写真の「幌萌町の大桜」を見たことがなかったので、見に行ってみたいということ。
そして三つ目は、「古道『モロラン道』の調査」です。
古道「モロラン道」の調査
このテーマ、実はずいぶん前から、LocalWiki室蘭のメンバーとの間で話題になっていました。
きっかけは、明治11年に室蘭を訪れた英国の女性探検家イザベラ・バードの「日本奥地紀行」。この中で彼女は、平取に行った帰りに、鷲別のあたりからこの「モロラン道」に入って元室蘭に辿り着いたと書いています。
「やがて私たちは,街道を離れて,土砂降りの中を人の通らぬ小道にそれて行った」(「日本奥地紀行」p466)
この道は、明治以前から使われていた道で、埋め立てが進み、国道37号線が現在のルートを通るようになるまでは、室蘭の山側(北海道本島側)のメインルートだったのです。
ただ、実際この道は「七段坂」と呼ばれるほどのアップダウンの激しい道であるため敬遠され、もっぱら元室蘭から絵鞆まで船で渡り、半島側を行く旅人が多かったと聞きます。イザベラも平取に行く時にはこちらのルートを使ったようです。
過去のLocalWiki室蘭での議論は、以下リンク先をご参照下さい。
このような経緯もあって、この「モロラン道」の特定は僕の大きなテーマの一つとなっており、実は港北町から本輪西町にかけてのルートはほぼ特定が完了しています。このエリアは旧道が今も市道・生活道としてよく残っており、辿るのも比較的容易です。
残る未特定ルートのうち、地図調査や航空写真調査で比較的特定できそうだったのが、今回現地調査をした、本輪西町から幌萌町内にかけてのルートだったのです。
今回はこのルートの特定も目的の一つでした。
古地図による調査
手持ちの昭和2年の室蘭港湾市街図に、このモロラン道らしきルートが描かれていたので、それをもとに調査をしました。
モロラン道と思われるルートを青でマーキングしてあります。
次に、このルートを現在の地図に描き入れてみます。
赤枠は、次に示す拡大図の範囲を示しているものですが、この範囲内で、現道と一致する部分が結構あります。今回の現地調査対象はこの範囲です。
散策開始!
前置きが長くなりましたが、散策開始です。
今回のスタート地点は、上の地図の右下、小がね本輪西店の向かい、昔本輪西郵便局のあった角を曲がったところからです。
この坂道は、中幌萌川の作る小さな谷(沢)を通っており、この沢は昔から「サルカニ沢」と呼ばれているそうです。
管理人は港北町生まれ港北町育ちですから、坂道と言えば港北中学校に登る坂道クラスの勾配を覚悟していたのですが、意外にゆるやかで拍子抜け。これなら鼻歌交じりでタラタラ歩いてたら全然息も上がりません。
それでいて、住宅地を過ぎると、唐突に林道感が出てきて、沢にはあちこちにちょっとした湿地があって、様々な草花が咲き乱れ、木々の間には野鳥の鳴き声がこだまして、大層気持ちのいいウォーキングでした。
季節柄、まだ葉っぱが無いので日光が直接届きますが、夏場葉の生い茂る時期なら、ちょうどいい木陰の散歩道になるのではないかと思います。
やがて、この時期にしては不自然な緑が視界の奥に見え始めます。どうやら杉が植林されているようです。
北海道には杉は自生しませんから、杉の木は、ここにかつて開拓に入った人々がいたことを示す重要な手がかりです。
室蘭市内では、本輪西町にある五平杉や、南部陣屋跡の周囲の杉林などが有名ですね。
中幌萌地区に到着。本輪西側の古道調査
杉林を過ぎると、すぐに交差点と人家が見えてきます。交差点にある掲示板には「中幌萌町会」とあることから、この地区は中幌萌と呼ばれているようです。
そして、この三叉路の向こうを横切る道こそが、僕が「モロラン道」と推定している道です。現在地はここです。
ここで僕は、あるものを探しました。それは、「馬頭観音」などの、古い街道にまつわる石碑などです。大抵、明治以前から続く古道の沿道には、拠点ごとに馬頭観音などが建立されていることが多く、この「モロラン道」でもこれまで、港北町と本輪西町で1基ずつ馬頭観音を見つけています。
ただ、残念ながらここにはそういったものは見当たらず。ちょっとがっかりしてしまいましたが、それでもここがモロラン道の最有力候補に違いはないので、気を取り直してさっそく、モロラン道(推定)との交差点に立ち、西の方を見てみましょう。
1車線ほどの太さの舗装道路が西に向かって続いています。では、反対側の東側を見てみましょう。
沢の底に向かって下っていく道の途中まで舗装道路、途中から未舗装路になっています。
この未舗装路、かなり気になります。現在の地図・古地図を見比べても、本輪西町へ下る道はここから分岐しているはず。道の曲がっている方角も地図と一致します。
なんとなく、民家の庭先に出て「ごめんなさい」することになりそうな予感がありつつも、虎穴に入らずんば虎子を得ず! というわけでこの未舗装路をたどってみることにしました。
沢底まで降りて、本輪西側の尾根に向かう登り口はちょっとしたカーブになってるんですが、このカーブの内側に尋常じゃない数のデリニエーターが。
ポールに「室蘭市」とでも書いててくれればわかりやすいのですが、残念ながら所属を示すようなものは何もなし。
ただ、単なる私道にこんなもの大量に設置する意味はあまりないと思うので、このデリニエーター群は、この未舗装路が「市道」であることを示していると思えてなりません。
ちなみに、この中幌萌地区と本輪西町を結ぶ古道は、現在も室蘭市道「本輪西・幌萌通線」として登録されており、れっきとした現役市道だったりします。
一応、ここは公道らしいと安堵しつつ、未舗装路をたどります。路面状況は悪化し、軽トラくらいしか通れないだろ、という道幅になってゆきます。
そして、この写真の奥、左に大きくカーブした先で・・・
ちょっとした広場的な空間があり、道は途切れていました。慌てて地図を見ると、どうやらこの途中右側のどこかに分岐というか、本線が伸びているらしい。
ちなみに上の行き止まりの写真ですが、進行方向は北向いてます。でも、地図では南東方向に進まなきゃいけないはず。ということは、さっきの「左カーブ」がすでに本線から離れているということ。なので南側を気にしつつ、少し戻ります。
うーん。。道があるとすれば、ここかなぁ、と。
写真だと見づらいんですが、矢印のあたりにうっすら踏みつけた跡が続いているように見えるんですよね。
ただ、ここを踏破するとなると、本格的な藪こぎになるので、断念することにしました。今回は軽装で藪こぎに耐えられる装備をしてないですしね。
でも、少なくともここまではモロラン道の一部と推定しても良いように思えました。
幌萌町の大桜
さて、再び中幌萌地区の交差点まで戻ってきた僕は、今回のもう一つのテーマである、大桜を見に行くことに。ここからだと、100m歩かずに桜のところまで行けます。
冒頭ご覧頂いた写真と同じ写真です。ちょっと花見には早く、まだ五分咲きくらいの感じでした。
明日から毎年恒例の太田亜希子さんのコンサートがあるので、それまでにもう少し開いてくれると嬉しいですね。
樹齢180年超の大桜との対面を済ました後は、どのルートで帰ろうか、と考えます。
とりあえず想定していたのは、本輪西町に降りるか、古道を辿って幌萌川の沢を下るか、もと来た道を戻るかの3択でした。
本輪西に降りるのは、先程散策した古道が本輪西に通じていれば、そこを通ってみたいというものでしたが、残念ながら道は藪に消えてました。そして、古道ではない別の新しい道を辿るのであれば、別に本輪西に降りる必要はない。
となると、もと来た道を戻るか、幌萌川の沢を下るか、です。後者はかなり遠回りになるため、寒かったり、残り体力に自身が無い場合はやめようと思ってましたが・・・
幸い想定以上に暖かく、また風は強めでしたが、むしろ火照った体にはちょうどよく。実に歩いてて気持ちのいい日でしたので、無理せずゆっくりと歩いて、古道を辿り幌萌川の沢を下ることとしました。
というわけで、三度古道との交差点に戻ります。
古道散策 中幌萌~幌萌川
先程の交差点に戻り、古道を西へ進みます。
ちょうど交差点は沢の中にある感じなので、ここからは西側の尾根を越えていく感じになります。
とは言え、鞍部を越えるので、地形図で見てもせいぜい30mほどの尾根をなだらかに上り下りするだけです。
古道を歩き始めてすぐに、南側の山林に不思議な看板が。
「大昭和製紙株式会社所有地」
って本当に!!??
大昭和は随分前に日本製紙と合併して、今は存在しないはず。紙の原料にするにしても、この程度の山林じゃ全然足りないのでは?
この辺りはもともと栗林家、現在は室蘭埠頭株式会社の所有地が多いようなので、もしかしたら、なにか栗林家との間で歴史的な経緯があるのかもしれませんね。
そうこうしているうちに、道路が未舗装の砂利道に。それこそ牧場の管理道路のような雰囲気になってきたので、おいおい大丈夫か? と自問しつつ前進。
すると、出てきました。こんな看板が。
あーあ。落ち葉に埋もれて何書いてるんだかわからない。でも、僕はこの道の進んだ先、向こう側の入り口で同じ看板を見たことがあるので、すぐにピンときました。
先に出しちゃいますが、これです。
「この先、避難道路に付緊急時以外の車両の通行を禁止します」
いや、しつこいようですけど、ここって市道ですよね? 公道ですよね? なのに車両通行禁止って。
まぁ、管理者である室蘭市がそう言っているのでは仕方ありません。でも、今日の僕は、こんなこともあろうかと、徒歩で来ています。徒歩での通行を禁止する、とは書いてないので、そのままスルーして先に進みます。
古道を進み尾根に出ると、開放的な高原的景観が待っています。広々とした牧草地に、遠く室蘭岳が映えますね。
先程の林道的景観といい、この高原的景観といい、本当に室蘭って、狭いのにいろんな顔を持ったまちだよなぁとつくづく思います。このまちに生まれて良かった!
というわけで、古道の散策を続けます。
実はこちら側の古道ですが、もともとの古道をなぞっているのはほんの200mほど。本来はまっすぐ西を目指すはずの道は、突然進路を変えて北西の方角へ。
この地図のとおり、すっぱり樹林帯が切れてるんですが、道はどんどん樹林帯の切れ目から離れていく。。
そして道はぐねぐねと小さなヘアピンカーブを重ねて谷の中へと下っていきます。
谷底につくと、そこにも牧草地がありますが、やがて笹原に囲まれ、周囲は再び湿地帯に。
で、そろそろ、本来まっすぐ西進しているはずの古道がこの道と交差するあたりですが・・・ 今越えてきた東側の尾根を見ると・・・ 小さな沢があるので、道があったとしたらここかなぁという感じですが、なんとも断定する材料がありません。
僕の想像ですが、この道の「付け替え」は、近世以来の「徒歩・馬の道」であったこの古道を、「自動車道路」として整備するために、この尾根に登る部分がどうしてもそのままでは勾配を緩和できなかったのが理由ではないかと感じました。
この部分、尾根の上からここまで距離が約150mほど。対して高度差が、地形図から読み取った範囲では45mほどあります。これを直滑降で下りてくると、勾配は30%近くになります。とても自動車道として供用できる勾配ではない。
かと言って、この小さな沢では、つづら折りをする十分なスペースもない。なので、道を上流側に大きく迂回させ、3連のヘアピンカーブを経て勾配を緩和したのではないか。。。そんな気がします。
歴史の闇に埋もれてしまった真実を掘り起こすのは容易ではありませんけどね。
さて、一応、想像ではありますが東側の道について結論を付けた後は、西側の陣屋町方面に向かう尾根越えの道探しです。
これは比較的簡単に見つかりました。
ここですね。わかりますか?
奥を横切る道に向かって、手前から道が伸びていますね。残念ながら封鎖されてますが。
奥の道を目で追うと、右側に向かって尾根の上に道が続いていました。航空写真を見ると、この尾根の上に牧場のような施設が写ってますので、今はそこへのアクセス道として活用されているのだと思います。
これも途中まで市道のはずなんですが・・・ 封鎖している道を辿るのは、また次の機会ですね。
あとは、再び住宅街=人間の世界に復帰し、国道まで下りたあと、国道を伝って本輪西まで戻りました。
まとめ
ずっと気になっていながら、ようやく今回散策を結構した幌萌町ですが、やはり「自分の足で歩く」「歩くスピードで見て、考える」ことが、歴史を辿る上でとても重要だなぁと感じました。
この古道が最も活用されていた時代、人々の交通手段は、自分たちの二本の足か、馬だったわけで。今の自動車が当たり前の感覚とはまったく別次元です。それを辿ろうとした時には、やはり僕らは自動車という文明の力からは下りて、当時の人たちと同じ状況に身を置くことで、初めて見えてくるものもたくさんあるなぁ、と改めて感じた散策でした。
さて、古道「モロラン道」ですが、今回でおおむね幌萌町内のルートが確定できたかな、と思います。
あとは幌萌町-陣屋町間(白鳥大橋建設・日石建設に伴う埋め立て・鉄道移設による大規模な地形改変あり)と、西陣屋-本室蘭間(白鳥台造成で大規模な地形改変あり)、知利別町-八丁平-港北町(飛行場建設・八丁平造成で大規模な地形改変あり)と、いずれも大規模な地形改変が行われた場所ばかりなので、その断片をいかに拾えるか、みたいな感じになります。
引き続き古道調査、進めます!