先日、日本遺産「炭鉄港」に関する知見を広めようと、小樽市手宮にある小樽市総合博物館に行ってきました。そのときに周辺を散策し、日本遺産の構成文化財にもなっている「北炭ローダー基礎」を見てきました。
「ローダー」とは、陸から船に荷物を積み込む装置全般を指す言葉ですが、この場所にあったのは、船に石炭を積み込むためのベルトコンベアでした。
この基礎の上に鉄骨が組まれ、そこに向けて斜めにベルトコンベアが設置されてて、陸側の貯炭場にある石炭を、船に積み込んでいたのです。
文章で説明するのは少々厳しいので、どんな姿だったかは以下の参考リンク先をご参照ください。
この北炭のローダー設備ですが、実はかつて、室蘭にもありました。というか、ローダーに限らず、石炭の積み出し設備一式について、室蘭と手宮には、コピーされたかのように、ほぼほぼ同じ設備が設置されてました。古くは高架桟橋から、近代のトランスポーターやカーダンパー、そしてこのローダーなどすべてです。
室蘭にもローダー基礎が残っていたなら、それも日本遺産の構成文化財になっても良かったはず。だけど、室蘭には現存しません。
では、室蘭のローダー基礎はどうなってしまったのか。古い航空写真などを通じて調べてみました。
室蘭のローダーの姿
まず室蘭のローダーがどんな姿だったのか、本当に小樽と同じものがあったのか、の裏付けを取るために、室蘭のローダーの姿を確認したいと思います。
実は僕が所有している古絵葉書に、室蘭のローダーの姿が写っているものがありますので紹介します。
岸壁から少し離れた海上にコンクリート製の基礎が浮かんでおり、そこに鉄骨の塔が建てられ、そこに斜めにベルトコンベアが設置されてます。コンベアを覆う部分には、北炭の社章である、丸で囲まれた星のマークがあります。
この写真からは大きさが正確にはわかりませんが、小樽のローダーととても良く似た形状であることがわかります。
室蘭の北炭ローダーの位置
このローダーがどうなったのか? を知るために、戦後の1961年の航空写真を見てみます。この写真は、国土地理院の地図閲覧サービスから引用しています。
大きな丸の中にローダー2機が写っています。基部は小さな丸の位置です。そして、その部分は岸壁になってます。
でも、上の写真で見ると基部は海に浮いている。
ということは、どうやら室蘭の場合は後から、この基部のラインまで埋め立てられて岸壁になっていたようです。
道理で、それらしい痕跡は見つけられないなぁと思ってましたが、埋め立てられていたとは意外でした。
場所的には上の方のローダーの位置が現在の港湾部庁舎横の第一バース(港まつりの露店が出るところ)、下の方の位置が現在の合同庁舎の駐車場の角あたりになるようなので、今度本当に痕跡がないのか確認してきたいと思います。